昭和49年01月29日 朝の御理解



 御理解 第19節
  「金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。」

 生神金光大神を唱える所に、金光大神取次ぎの働きが頂ける。ですから折角どこへやってもどこにおっても、金光大神の取次ぎの働きが頂けれるのですから、それは氏子身の上の事何なりとも、実意を持って願えと仰るのですから。それは牛、馬の事に至るまで、氏子身の上の事何なりとも、実意を持って願えと教えられますから。どう言う事でも願うて良いどう言う事でもお取次ぎを頂いて良い。
 しかもどこからでも、どういう場からでも良い。私はそういう金光大神お取次ぎの働きと言うものが、頂けれるという確信と申しますか。昨日の御理解を頂くと、そういう働きが頂けれるという不動の信念を持って、人に対し社会に対し又は自分の身の上、身内のことに至るまで、確信を持ってお取次ぎが願われ、またお取次ぎが頂かれ、おかげを頂いて行かなければならんと思います。ただ信心を自分の我情我欲のためだけに、金光大神取次ぎの働きを頂くと言った様な事ではです。
 実に勿体ない話である。また実にそれでは相済まん事である。そこで先ずは金光大神は形がのうなったら来てくれと言う所へ行ってやると仰せられる。成程そういうおかげが頂けれるなという確信を、お互いが頂かなければならん。私は昨日大体二十六日でしたか、今度伊万里と長崎県の合間にある、福の島という島がある。そこが九州では初めての、今度別荘地帯が開拓されてまぁ大変な大事業が、そこであっておるわけでございますが。たまたまそこに縁が出来ましてね。
 マルショウの野営地と言った様な、名目の元に少しばかり土地を購入させて頂きました。それではあんまり狭いからその続いた所に、土地があるというので、とにかくどちらにしても一遍、見もせずに買ってありますから、是非見てくれと言う事であったから、大体二十六日に行くようにしてあった。所が竹内先生の所から、折角あちらにお見えるのですから、先生そこん所をこの頃から見に行って下さってあった。それで大変素晴らしい所ですから、竹内先生からも親先生一遍是非見に来て下さいと言う事であった。
 それで二十六日が出来ませんから、先生が二十八日ならば、一日御用をさせて頂いていいですから、二十八日にお出でて下さいち言う事であった。それで秋永先生を先頭に四、五人ち言うが車一台ですから三、四人で行く積りだったんですけども。秋永先生がちょっと都合で出来ませんでしたから、代わりに久富正義さんが行ってくれまして、高橋さんそれから繁雄さん、それから家内と自動車二台に分乗してあちらへ参りました。
 そすと向こうから案内にきて下さった方とそれから先ず、竹内先生所に先ず来てくれと言う事だから、あちらに参りまして先生を初め、親子あちら三人に奥さんと、恵美子さんと三人で一緒に来てくれた。それからあちらの車で結局、自動車三台で分乗して福の島へ参りましたんですが。昨日一日の事から考えてみて、例えば昨日でなからなければならなかったり、その事がどこ行っても、それを感じるんです。成程今日でなからなければいけなかったはずですねぇと言う事。
 ほんならここの場合でもそうです。二十六日は土井の共励会。二十七日は中村さん所の告別式。二十八日は久富先生所の結婚式がここであるんですから、まぁテンヤワンヤの日々が続いておる。二十八日だけが私としても空いておるという。そういう万事万端神様のご都合、お繰り合わせの中にです。もう行って帰って丁度、昨日十時ごろ帰りましたでしょうか。帰るまでにもう本当神様の働きそれこそ、今日の御理解で申しますと、生神金光大神取次ぎの働きが。
 そこにもここにも実を言うたら、車の中までその働きを頂いておる事を実感致します。是は皆さんだってそうですね。私を中心にして合楽の皆さん、こうやって動いておりますがはぁこれこそ、金光大神取次ぎの働きが、ここにこの様に現れておると言う事を、皆さんが実感体験されておる事だとこう思うんです。その事がです私が昨日思われてなりませんでした事は、ははぁこれは神様がね私共に、信じられたくて信じられたくて仕方がないという働きが、是だなと思いました。
 昨日私共が神様を信ずる。いわゆる不動の信と言う事について申しましたがです。天地の親神様ご自身がね、金光大神の取次ぎの働きによって、天地の親神様ご自身がです。氏子に信じられたい、信じられたいと願っておられると言う事です。いうならば私共が不動の信を持って信じ、天地の親神様がまた私共を信じて下さる。信じ信じられる所からしか、本当の働きというものは生まれてこないからです。
 だから私共は日々お取次ぎを頂いておかげを受けておると言う事は、夢や疎かにしてはならないと言う事。はぁ神様の一分一厘間違いの無い働きを、皆さんが実感されましょう。お取次ぎを頂かれておかげを頂かれる時に。それはね私共がおかげを頂くと言う事だけではなくて、天地の親神様が信じて欲しいと。信じてくれというその働きが、その様な働きの中にあっておる。
 というて人間氏子の我情我欲を何もかにも聴いてやると言う事じゃない。けどもこの様な神の守護の中に、神の働きの中にあるんだぞと言う事をです。私共に信じさせたいという働きがです。合楽こら合楽に限らずですけれども、合楽の信奉者の皆さんがです。日々おかげを頂いておると言う事は、いよいよ神様を間違いがないと信じられると言う事と同時に、神様もまた信じて欲しいという、その神様の願いに応えてお互いが信心させて頂いておると言う事。
 だから信じ信じられる。信じられると言う事。御神徳とは神の信用じゃとこう仰る。神様を信ずる。「神を信ずる氏子は多いけれども、神に信じられる氏子が少ない。」と仰せられる。神様に信じられる私共になると言う事と同時に、神様を信ずる私共。そこから私は期せずして、天地の御神徳の、いうなら御恩恵の中にこの様にも間違いなくあるんだという働きを、日々実感する生活を有難い勿体ないの生活であり、言うならば信心生活でなからなければならないと私は思います。
 同時にです金光大神は形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやっると仰せられるのですから。折角来て頂くならです。自分の身の小さい事のために、来て頂くのでは勿体ない。いやそれも頂かなければなりません。小刻みにです神様を信ずるひとつの働きというか、神の作用を受けて行けれる事実を、体験していくと同時に折角信心が、段々成長して参りましたら、自分だけではない自分一家だけではない。
 それが天下国家の上にまでです。そういう金光大神取次ぎの道の働きが、そこに頂けれるようなおかげ。私は昨日伊万里に参りましてね。その事を実感して帰ってまいりましたもう驚きました。昨日そのようなわけで、私共のために一日を空けて下さっておったから、もう一番に市庁舎を見学させて貰いました。話には聞いておりましたけれども、驚きました。まあいうなら市の中では一番小さい、しかも伊万里と言う所は、色んな収入の少ない市であって。年々歳々人口が段々減って行ってるという町です。
 例えば九州のどこの都市を見ても、競輪とか競馬とか競艇とかと言った様な、ああ言う様な事で収入を上げて、まぁどうやらこうやら、市政が保たれているという感じの市ばっかりであるのに、あそこにはそれがないです。けれども本当に文化国の家建設と言われるがです。文化市政とでも申しましょうかが、浸透して行きつつある。年々歳々人口が減っておったのが、年々歳々今度は人口が今度は増えてきたという事実なんです。同時にその市政の事が日々です。
 金光大神取次ぎの働きを、毎日毎日お取次ぎがあってるんです。市政の事についてのお取次ぎ。まぁだかって私が、ああいう素晴らしい市庁舎を見た事が無い。それは行ってとにかく温かいんです全体が。私はあそこへ参りましてから、市長室にご案内頂いて、親先生ちょいと掛けてみて下さいと言うて、市長さんの椅子に。ほんならまぁ一日市長ちいうのがあるきん、私がつはまぁ十分間市長で、ほんなら一つ市長さんになった気分で、私はあそこへ座ってから、皆さんと話そうかと言うてですね。
 皆さんと冗談どん言わせて頂いたんですけれども。市長席に座らせて頂いて感じました。本当にそこの市の中心である市長の神経がですね。市庁舎の隅々にまで行き渡っていると言う事です。是は実際にこう行ってから感じるんです五体で。皆さんご承知のようにあんな行き届いた方ですから、そういう行き届いた実意丁寧さというものが、市長のその舎の隅々にそれを感じられる。外観も素晴らしい。その広場駐車場前庭、もうそれは見事です。中入っても市庁舎に行っておると言う様な感じじゃないです。
 そらもう実に優雅なですね、あれだったら、本当に市長さんと市民との、心から真心から話し合える場に相応しい、またそういう設備も沢山してあります。例えて申しますとね。ホールの方へこう入るとに、身体障害者の方でもこう座車ですか、車で入れるように工夫がしてあります。そのような神経の使い方です。私共は帰りがけに皆さん私共一行がこう、市長さんがこうやってドアを開けて下さって、出ろうとした時に婦人の方達が、そこに用件があって入ってこうとするのと一緒になりました。
 そしたら市長さんがどうぞと言うて、自分が開けたドアから、それを入れられるのを、はハァコレだなと思いました。勿論相手の方達は、この方が市長さんとは思いませんから、すうっとしてその久富さんじゃなかばってが、市長さんにドア開けちもろちから、どうもすみませんぐらい言うちきゃ良か所へち、言いなさる様な事で、向こうは知らんのですよね。そういう信心がそこにもここにも感じられる。皆さんがご承知のように、伊万里と言う所は、陶磁器の町ですから。
 市庁舎の全体が伊万里の焼き物で、白磁青磁があそこの中心をなす焼き物なんです。ですから全部が白磁で、それを縁取りが青磁を使ってあります。その裏に山がずうっと緑の山が借景になっての市庁舎、外観もそれは見事です。中に入って驚く事は各階に、ずうっとこうエレベータですけれども、廻って驚くです。いわゆる竹内先生生神金光大神取次ぎの働きがです。日々市政の上にこの様に現れておると言う事なんです。一人がおかげを受けたためにです。千人も万人もおかげを受ける事が出来るようになる。
人の手本になる様な信心をせよと。私はあちらで一番市長さんの椅子に掛けて思うた事は、お婆ちゃまがどんなにかお喜びであろうかと言う事でした。いうならお婆ちゃん一人の信心がです。この様な進展を見ておる。そら町もとにかく人口が減っていく、さびれて淋しい町だったのが、私が今度行って感じた事は、そこにも建設ここにも建設という感じです。生き生きとした。それこそ大変な大きなデパートが進出してきて、殆ど出来上がっておりましたがあの上にも。
 そして尚驚きました事は、今年が改選の時ですかね市長さんの。それにね今度は第一共産党が、出らないという話しになったそうです。ですから恐らく、社会党もそれに続いて出らない事でしょうと。いうならばねその絡み合いがないち言う事です。本当に人徳と言うかね。本当に素晴らしいですよ。ただ自分だけがおかげ頂いておると言う所じゃなく、自分の信心がです。
 そういう市政の上にも現れて、実、それを感じるほどしのです。一人がおかげを受けたために、千人も万人もの者がおかげを受けられるという。これ、お導きが出来るという様な事でなくて、市全体がで、そうい、潤うた、生き生きとした活動がなされて来るほどしの働きが、成程金光大神が来てくれと言う所へ、行ってやられての取次ぎの働きが、伊万里市政の上に、そのように表れておると言う事です。だからそこの所の働きを信じるという事が、昨日の御理解になるわけでしょうけれどもです。
 天地の親神様は、いつも金光大神を通して、ご自身が信じられたい信じられたいという働きを、私共になさっておられるのですから。私共が信じて差し上げなければ、相すまんという事になるじゃないでしょうか。もう恐れ入ります神様の働きには恐れ入りますばっかり言うとったっちゃ出きんち言う事。ほんならそれほどしの事を信じておるならば、その信じておる働きをです。自分の家庭の中、お店の中に職場の中にいうならば、竹内先生で言うならば、市政の上にそれを現していけれるという事なんです。
 昨日一昨日月次祭の翌る日でした。久富繁雄さんが言っておられました。先生夕べの月次祭には久富の一門が、みんなお参りさせて頂いておりましたが。第一私の子供達が全部、北野の娘婿たちが、親子三人連れでお参りをしておりました。田主丸の娘婿たちが、また親子三人でお参りしておりました。國男たちは親子四人連れで、勿論お参りさせて頂いておりました。やったり貰うたりする中にです。いうならお月次祭には全部集まって、それに、久富組とか久富建設も、みんな集まっておるわけですけれども。
 そこの中には兄弟の久富勇さんも集まっておられるんですけれども。又その中にはこちらの叔母さんの、江頭さんのお宅も、参りになっておられますようにです。ひとつの信心がです。一人が助かったために、一人がおかげを受けたために、千人も万人もの者がおかげを頂くようになるというのですから、せめて自分の家庭ぐらいには、信心の雰囲気というか、有難さというものが一杯。
 そして、それが親戚中にも、そうやって、娘達が嫁った、息子が嫁をもろうたという、その里やら、家庭の中の者にまで、それが浸透して行っておるという事が、私は、金光大神取次ぎの働きが、久富さん一門の上に、そういう働きがあっておるんだと、こう思うんです。ただ、自分の心の中とか、自分だけのおかげを頂いて、本当に神様の間違いなさに、恐れ入りますと言うておるだけでは、相すまんそういう働きをです。自分の周囲に愈々、広めていかなければならないと言う事です。
 金光大神はそれこそ、形がのうなったら、来てくれという所にと仰る。どこにおっても、どういう場にあっても、そこに金光大神の取次ぎの働きというものを現す事が出来るのですから、折角現させて貰うならばです。それが人のため世のためにも成る様な働きに現れてくるおかげを頂きたいですね、金光大神取次ぎの働きを。そのためには先ず本当にそういう働きが頂けれる。
 又はそういうおかげが受けられると言う事を、先ずは私共が分かり信じなければいけません。それが不動の信です昨日の。その不動の信念を持ってです。神様もまた信じられたいという働きをどこにおっても、現して下さるのですから。愈々信じ信じられる金光大神取次ぎの道の働きというものを、私共が身にも心にも感じさせて貰えて、そして私共の願いそのものがです。もちっとましな事を願えれる私共になりたい。
 皆さん一遍あちらにおい出られたら、一遍いちいち竹内先生にお会いしなくても良いから、伊万里の市庁舎に見学におい出られるといいですね。本当に感じますです。本当に先生、貴方の神経が隅々にまで、こんな感じられる思いでしたと言うて、お話したことでしたけれどもね。本当に、それが感じられる感じです。それが市の上の働きの上にまで、そしてそれは問題は沢山ありましょう。あらなければ嘘です。動いておるのですから生きておるのですから。私共の上にも問題は限りなく、何時もありますように。
 けれどもそれが段々おかげを頂いてです。四年間市長としての御用を頂いていかれるうちにです。今度の市長選には例えばこの前は、そういうひとつの絡みがあったんですけれども。四年後の今日はそうした共産党の人達が尻尾を巻いてか、話し合いでかどうか知らん。知らんけれどもとにかく出ないという話し合いがありましたと。だからひいては恐らく社会党も出らない様になるでしょうと。と言う様にです。
 何とはなしにそれを感じるです。私は本当に心強いと思うた。和賀心時代を作ると言う事も、こりゃこういう風にしておかげ頂きゃ。一つ合楽で皆さん、おかげ頂いておる人達が、一つ総理大臣にでもなって頂くような方達が現れてくりゃです。日本国家の上にもです。本当の意味においての文化国家建設という。私は変な絡みのない、和賀心時代というものが、これは夢ではないな、出来るなというふうに感じられました。
 それには先ず自分の心からですけれども、先ずは自分の家庭自分の店にです。そういう雰囲気とか働きが始まっておるかどうか。始まっていないとするならば私どもの祈りがまだ足りんのだ。伊万里市政の上に、日々お取次ぎを頂いての御用であられるように、自分たちのお店ならお店の上にもです。従業員だけではないお客さんに至るまでが、何とはなしにそういう信心の有難いものに触れて。
 その雰囲気の中におかげが頂けて行けれるという働きをです。金光大神にお願いしなければならない、取次ぎの働きをそこに現していかなければならない。折角金光大神に来ていただくのですから、その金光大神の働きがもうどこででも受けて。それを立たせて頂けれるという、こちらの信心が出来たらです。そこに金光大神の働きを、その場に作る事が出来るのですから。神様の喜んで頂けれるような願いがです。
 そういう働きの上に現れてくる。皆さん合楽は特にお商売人の方が多いですから、本当にお客さんの一人ひとりの上にです。そういう雰囲気を作ってあげれる働きぐらいは、先ずは出来なければいけませんね。「金光大神は、形がのうなったら、来てくれと言う所へ行ってやる。」どこででも金光様。それはほんな自分の事だけの為に来てもらう。こんなに勿体ない話はないですよね。
   どうぞ。